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ロシアの南下政策で打線!!!【ピョートル大帝から、第一次世界大戦まで】

こんばんは。

イラスト屋の アキです(@aki20180616)。

 

ロシアの南下政策において転機となった出来事で、打線を組んでみました。

近世ロシア史を学ぶ際の参考となれば幸いです。

 

▼目次

 

① 一番 (三) アゾフ海領有 (1700年)

南下政策の主戦場となるクリミア半島及び黒海への起点が、黒海北部に位置するアゾフ海。

英雄・ピョートル大帝により、1700年に行われたこの地の領有化を、今回の打線のトップバッターとしてチョイス。

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② 二番 (遊) 第一次露土戦争 (1768年)

二番バッターは、エカチェリーナ2世の治世に行われた第一次露土戦争。

オスマン帝国の領有していたクリミア半島を影響下とすることに成功し、難攻不落のセヴァストポリ要塞建設に繋がった守備の名手。

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出典:キュチュク・カイナルジ条約 - Wikipedia

 

③ 三番 (中) 第二次露土戦争 (1787年)

上記第一次露土戦争に続いて起こったのが、1787年より始まる第二次露土戦争。

この戦争での勝利により、クリミア半島の併合が認められ、黒海北部沿岸全体の領有化に成功。

 

④ 四番 (一) ギリシア独立戦争 (1821年)

19世紀の南下政策において、起点となる出来事がギリシア独立戦争への介入。

ロシア最大の商業港にもなっているノヴォロシースクの領有化に加え、ボスポラス及びダーダネルス海峡の通行権を獲得。

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出典:アドリアノープル条約 - Wikipedia

 

⑤ 五番 (右) 第一次埃土戦争 (1831年)

クリーンナップ最後の一角は、1831年に行われた第一次エジプト・トルコ戦争への介入。

ボスポラス及びダーダネルス海峡通行の、独占権獲得に繋がることととなった戦争であり、"ダメ押し" の一打を期待される五番バッターに。

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⑥ 六番 (左) 第二次埃土戦争 (1839年)

ギリシア独立戦争で手にした、海峡通航権を手放すこととなったのが第二次エジプト・トルコ戦争への介入。

ロシアにとっては、南下政策への歯止めとなった出来事であり、下位打線への繋ぎ役となる六番にラインナップ。

 

⑦ 七番 (二) クリミア戦争 (1853年)

聖地・イェルサレムの管理権移行に伴う、ギリシア正教徒の保護を口実に行われた戦争が、クリミア戦争。

先の海峡通航権破棄に加え、この戦争での敗北により、第一次露土戦争以降ロシアの支配下となっていた、黒海の中立化が実現。

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⑧ 八番 (捕) 露土戦争 (1877年)

八番は1877年に行われた露土戦争。

クリミア戦争でのリベンジは果たすものの、ベルリン会議にて定められたブルガリア公国の領土縮小により、南下政策は東アジア方面へと方向展開。

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出典:Treaty of Berlin (1878) - Wikipedia

 

⑨ 九番 (投) 第一次世界大戦 (1914年)

日露戦争での敗北をきっかけに、再び黒海方面へと矛先を切り替えたロシア。

パン・ゲルマン主義を掲げるドイツ・オーストリアとの対立をキッカケに、ヨーロッパの没落をもたらす未曾有の世界大戦へ。

 

 

 

一番 (三) アゾフ海領有(1700年)

二番 (遊) 第一次露土戦争(1768年)

三番 (中) 第二次露土戦争(1787年)

四番 (一) ギリシア独立戦争(1821年)

五番 (捕) 第一次埃土戦争(1831年)

六番 (右) 第二次埃土戦争(1839年)

七番 (左) クリミア戦争(1853年)

八番 (三) 露土戦争(1877年)

九番 (投) 第一次世界大戦(1914年)

 

18〜20世紀初頭の南下政策を、時系列に基づいて打線にしてみました。

一番から始まる上位打線の勢いと、六番以降の下位打線の落差WWW

 

いかがでしょうか。

世界史を学ぶ受験生や、ロシアへの旅行を検討されている方を始め、近世ロシア史を頭に入れる際の参考になればと思います。