オフィス・アキ

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【日露戦争はなぜ起きたのか?】香辛料のお話を、ロシアの歴史に繋げてみる

こんにちは。

イラスト屋のアキです(@aki_20190126)。

 

本日のテーマはロシア史。

世界一の領土を持つ大国が、僕たち日本の歴史にどのように関わってきたのかを見ていきましょう。

 

▼目次

 

①「凍らない港が欲しい」という思い

今までの記事でも何度か取り上げたのが、16世紀以降に力をつけた西ヨーロッパの5か国。

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ポルトガルが開拓した "胡椒ルート" と、スペインの開拓した "砂糖ルート" をもとに、「遅れた地域」であった西欧諸国が世界の覇権国家へ登りつめていきます。

関連記事▶︎【覇権の歴史】胡椒(こしょう)と砂糖で、16世紀以降の西欧の歴史を語ってみる - オフィス・アキ

 

ポルトガルやスペインに続き、世界の覇権を握ったのがオランダ。

海に面した海洋国家としての強みを活かし、アジアとの香辛料貿易でガンガンお金を稼ぎ始めます。

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出典:World History Maps & Timelines | GeaCron

 

この様な状況の中、ロシアの人々にとある願望が浮かんできました。

 

俺たちも海が欲しい!!!

 

彼らにも北極海沿岸等の海がありましたが、それらは年中凍っていて使い物にならない。

というわけで、いかにして凍らない港を手に入れるかが、ロシアの人々における永遠のテーマとなります。

 

② 18世紀に手にした2つの海の、致命的な弱点

オランダの力が衰えイギリスの時代が訪れる頃、ようやくロシアも凍らない海を手にします。

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バルト海。

北ヨーロッパに位置する地中海であり、21年にもわたるスウェーデンとの戦争を制し、ロシアが手にした西ヨーロッパへの玄関口です。

 

さらに1783年にはクリミア半島を領有。

黒海へのアクセスルートを確保して、大国としての土台を徐々に整えてきました。

 

ところがこの2つの海には、致命的な弱点があったんですね。

 

バルト海の方は夏は問題ないものの、冬になると凍ってしまい使い物にならなくなるということ。

黒海に関しては、トルコやイギリスといった周りの国々に邪魔をされ、アジアやアメリカへのアクセスルートとしてはほとんど機能しませんでした。

 

この様な中、ロシアが19世紀後半頃から目をつけたのが、ヨーロッパとは真逆に位置する日本海沿岸。

必然的に、この海の盟主・日本との対立がどんどん深まっていくことになります。

 

③ 日本海沿岸を巡り、日露戦争勃発!!!

小学校の社会科でも習った三国干渉が起きるのも、ちょうどこの頃。

日清戦争で日本が中国から奪った領土に対し、ロシアがフランスやドイツを従えて、中国に返すよう脅した事件です。

 

ロシアは元々、陸軍に関してはものすごく強い軍隊を持っていたんですよ。

ヨーロッパ中が根こそぎ倒されたナポレオン軍を、最後に打ち負かしたのもロシアの陸軍でした。

 

そんな大国が、陸だけでなく海まで手に入れたらとんでもないことになる。

日本と同様に焦ったのが、当時の世界チャンピオン・イギリスでした。

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ロシアが狙った日本海沿岸は、イギリス本国からすると最も離れた海域。

世界中に植民地を持つ大英帝国といえども、カバーをすることが困難なエリアです。

 

困ったイギリスが、対ロシアへのパートナーとして選んだのが日本。

1902年に結ばれた日英同盟をもとに、世界最強の海軍国家・イギリスから、後の戦争で4番バッターを担う戦艦・三笠をがもたらされます。

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出典:日露戦争当時の東アジアの情勢(ビゴー筆)

 

凍らない港を求めて日本海への進出を図るロシア帝国と、イギリスという強力なバックを得てがぜん奮い立つ大日本帝国。

1904年、とうとう日露戦争が勃発しました。

 

④ 第一次世界大戦に繋がるロシアの方向転換

結論からいうと、この戦争の勝者は日本。

日本海におけるロシアの重要拠点・旅順港を破壊し、黄海海戦や日本海海戦といった海軍同士の戦いでも圧倒しました。

 

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出典:地球温暖化とバルチック艦隊 : 南極・北極の探検と気になることば

当時ロシア海軍の主力・バルチック艦隊が置かれたのは、先ほどご紹介したバルト海や黒海といったヨーロッパの海域。

この主力艦隊を極東に移動させるのに、7ヶ月もの月日を要したんですね。

 

さらに日本の同盟国・イギリスが、アフリカやインド方面における膨大な植民地へのロシアの寄港をことごとくシャットダウン。

食料や燃料の補給も満足に行かなかったロシア 軍は、ヘロヘロの状態で日本軍に挑むこととなり、日本海海戦にて為すすべもなく破れました。

 

日露戦争における敗北により、極東方面への侵出を妨げられたロシア帝国。

その矛先は戦争終了後、再び黒海方面へとシフトしていくこととなります。

 

南下政策におけるロシアの方向転換は、同じくバルカン半島への侵出を図っていたオーストリアやドイツと対立。

結果的にこの対立が後の第一次世界大戦へと繋がり、400年以上続いたヨーロッパの繁栄を幕を閉じることとなります。

 

 

 

 

それでは最後に、今まで書いてきた内容をザックリ復習しましょう。

 

① 17世紀以降、ロシア帝国は西欧諸国に刺激を受ける形で凍らない海を求めた。 

② ヨーロッパ側で獲得した2つの海には、それぞれ致命的な弱点があった。

③ 視点を日本海沖に向けたロシアは、日本との対立を深めて日露戦争へ突入。

④ 極東から黒海へのロシアの方向転換は、後の第一次世界大戦に繋がることになる。

 

今回の記事では上記のように、香辛料貿易から日露戦争、ひいては第一次世界大戦に至るまでのロシアの歴史を簡単にまとめてみました。

 

ロシア南下政策を学ぶことで、16世紀以降の世界史の流れをザックリとつかむことができます。

大学受験生や歴史の勉強を再開された社会人の皆さまは、ぜひ参考にしてみて下さい。

 

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